荒木勝先生との対話第一弾 アリストテレスに学ぶ本物のリーダーとは

第一部 日本の精神的な礎を求めて

2020年9月16日 於:縄文アソシエイツ

●日本全体が自信を失っている


古田 今「若い人が自信を失っている」と言われることがあります。しかし、私に言わせれば、日本国民が総体として自信を失っています。
 なぜかといえば、この75年間、国として自立してこなかったからです。
 個人であっても、子どもの頃は親の世話になりますが、やがて社会に出て、結婚し、子どもを育て、家族を養うという自立のプロセスを経て、はじめて最低限の自信を得られるものです。終戦後から75年間も自らの足で立って歩んでいない国で「自信を持て」と言われても、持てるはずがありません。
 われわれの世代が自信を持っていないのに、「今の若い人は自信を持っていない」などと言うほうが、むしろおかしいのではないでしょうか。

荒木 じつは学問の世界でも同じことを感じています。日本の学問は自立してこなかったし、今でも自立していません。それは、日本の戦後が、自ら総括することをしないで出発しているからだと思います。
 私は1983年頃からアリストテレス研究を行ってきましたが、自分の研究が「ようやく地に足がついたな」と思えるまでに20年以上かかりました。
 ポーランドにいたときは、自分の拠って立つ学問的基盤が足元から崩れ去るような体験をし、最も苦しい時を過ごしました。そこでゼロからやり直し、2000年にケンブリッジ大学に行きました。「自分のアリストテレス解釈はどの程度のものなのか」を確かめたいという思いもありました。そこではじめて、ケンブリッジの学者と私との間には、解釈の違いがあることを明確に自覚しました。日本に帰国してから再検証を重ね、「これで私のアリストテレス解釈の基盤が形成されただろう」と思えるようになったのは、2004年頃です。
 その後、日本の先輩諸氏の作品を読み直して、気づいたことがあります。それは、「戦後、アメリカ仕込みの学問がされてきたが、ほんとうにそれらを読み解いて、わがものにしているものはない」ということです。
 政治でも経済でも、戦後さまざまなことが推進されてきましたが、敗戦の意味を根本的なところで総括していないのではないかと思います。今、あらゆる物事をそういう目で見直しているところです。

古田「日本は真に自立していない」――そのおかしさを最初に指摘したのは、三島由紀夫と新左翼ではないかと思います。若者たちは直感としてそう感じていた。三島はまた別の立場で感じた。三島が割腹自殺したのは昭和45年でしたが、あの時代には「一度総括しなければ」という気運があったのだと思います。ところが、その問いかけはうやむやにされ、そのあと訪れた平成の30年間は、まさにそれを見ないことにして過ごしてしまいました。


●リーダーが育たない日本の土壌


古田 今日の日本の大きな問題点は、「真のリーダー」とか「人物」と言えるような存在が、いなくなってしまったことです。私は企業社会に焦点を当てて活動してきましたが、おそらくどの分野でもそうでしょう。
 「能力の優れた人」はたくさんいます。しかし、ほんとうの意味で集団のダイナミズムを理解し、その集団にいる人たちが幸福になるように、志を立てて物事を為そうとする人がどれだけいるのかといえば、大いに疑問です。
 リーダーというものは、集団を形成する人たちが明るく元気に、前向きに、幸せに生きられるという環境をつくり上げること、そこに本来的な意味があるはずです。企業でいえば「赤字を出してはならない」とか「事業を継続させなければならない」というのは副次的な要素であって、本来的な使命を果たすということがその前提になければなりません。
 人間の集団というものは、小さくは家族から、大きくは国家まで、そしてその中間形態としての企業組織も、その原点には、各自が各々の持ってうまれた本分を全うし、持てる力を存分に発揮し、それがよりよく生きるということにつながってゆく、そういうことのためにあると思うのです。
 ところが、現実にはそうなっていない。理由は、リーダーを育ててこなかったからです。リーダーを育てようにも、育てる側がそもそも自分の足で立っていないのだから、育てられるはずがありません。
 いま、東京証券取引所に株式を公開している企業が三千数百社あります。日本のトップ企業です。その中で、今の切り口で「この人はリーダーだね」と言える人は約一割です。300人でも多いかなと思うくらいです。
 国民の生活感覚として、日常的な行動に直結しているという面でも、家庭と国家の中間形態として企業が持つ意味合いはとても大きいわけです。そこにまともなリーダーがほとんどいないわけですから、その先の一国のリーダーとして、いったい誰が務まるというのでしょうか。
 根源的には、どうやって一人前に立って生きていけるかに立ち返らないといけないのですが、その問題意識を持ちながら、ほんとうの意味でリーダーとなるために、どんな要素が必要なのか、どのような素養を身につけなければならないのか、今日はそのあたりを議論できればと思っています。
 まず、書物を読むことによって得られる世界があります。ただし、その読み方に浅い・深いの差があります。われわれが教えられてきたのは、単に知識として知的に理解するというレベルです。魂が揺さぶられるとか、深い部分で感応するという読み方が伝えられていません。じつは、そういう深い次元で本を読んだり、物事を考えることがあってはじめて、リベラルアーツ、荒木先生がおっしゃる「日本型リベラルアーツ」ということが視野に入ってくるのではないか。読むことと行動することが、ほんとうの意味でつながるのではないかと思います。
 そういうことに気づくにはどうすればいいか。身体を通して気づくという意味では、禅や武道などがあります。同時に、先生が携わっておられる「言」の世界で消化していける部分があると思います。言葉と身体が相まってはじめて開ける世界です。
 現代日本では、そのことがいろんなものに分割されて社会の中に残ってはいますが、それらが統合されて、実業界でも学界でも、官僚の世界でも政治の世界でも、1000人に一人、10000人に一人のリーダーが育っていくようなことにしていかないと、いつになっても真のリーダーが現れるところまで到達できません。
 もちろん、多くの人を育てることは、社会の土壌づくりとしては大切です。ですが、1000人に一人の真のリーダーが育てば、残りの999人はちゃんとフォローできる。土壌全体を改良することも大切ですが、いま力を入れるべきは1000人に一人のほうではないかと。
 おそらくですが、アリストテレスも1000人、10000人の全員を育てよと言っているのではなく、1000人に一人、10000人に一人の人をどう輩出するかを言っているのではないでしょうか。それによって、残りの999人は幸せになれるわけですから。


●ドイツの戦後総括との比較


荒木 今のお話を私なりに別の角度から考えてみますと、同じ第二次世界大戦で敗北したドイツと日本を比較することで、具体的に物事を考えていく出発点になると思います。
 ドイツでは、敗戦したときに大きな精神的総括が行われました。彼らは「なぜキリスト教徒でありながら、われわれはこんなひどいことをやったのか」と自問しました。単に「ヒトラーが命じたから」ではなく、「彼をリーダーに選んだのはわれわれだ。われわれのどこが間違っていたのか」と考えました。
 1945年の「シュツットガルト宣言」は、プロテスタントによる総括の一つです。大戦中、大部分のプロテスタントはヒトラーを支持していましたが、中には壮絶な戦いで絞首刑になった人もいました。そういう人の遺産をどう保護するのかといったことを真剣に考えたのです。ドイツのリーダーたちは、敗戦を真正面から受け止め、自国の問題としてどう立て直していくのかということに真剣に取り組みました。そして「ボン基本法」という憲法も自分たちの手でつくり、それを戦後ドイツの出発点にしたのです。
 ところが、日本の場合、確かにアメリカの占領という問題はあるものの、保守も革新も非常に深刻な状態に陥りました。なぜ「自分たちの手でつくらせてくれ」と言わなかったのでしょう。なかでも保守は、これまでの行為も精神も全否定されたわけですから、自らの手で総括することを抜きにして、そこから立ち直ることはあり得ません。本来は必要だったのに、やらなかった。これは経済界も同様です。
 ドイツの経済界は、労働組合の発言をとても尊重します。戦前のドイツは大量の失業者を生み、それがヒトラーの台頭を許す原因になりました。ドイツの経済界はその反省に立って、働く人びとの生活を守ることなしに、国民全体の幸福を実現することはありえないと考えたのです。
 その結果、世界経済の中で重要な位置を占めるまでに復活しました。近年はドイツ企業も厳しい経済環境下にあり、労働者の雇用が守られないこともありますが、解雇された労働者が路頭に迷わないように、そこは政府がしっかりとしたサポートをしています。いわば「北風と南風を同時に吹かせる」ことで、国民の命を守っているのです。
 戦後のドイツには、このような「社会国家」という重要なビジョンがあります。これは、今日のアメリカ的な新自由主義国家観とは異なる性質のものです。これを国民全体で共有しようという合意があるのです。
 その手形の一つが憲法です。ドイツの憲法では、家族の保護を国家の使命に掲げています。子どもの教育に責任を持つのは家庭です。したがって、子どもの思想や宗教に関する教育については、親に選択権があることが憲法に明記されています。これは、戦前の日本の家父長的な家族主義でもないし、戦後日本のなんでも個人の自由にまかせるようなスタンスとも違います。敗戦の反省に立って考えぬいた末に辿り着いた価値観を、将来世代にも継承させるという並々ならぬ決意が示されています。
 ドイツと日本では、そういう意味で国の出発点が根本的に違うのです。
 ヒトラー政権の中枢にいた人たちに対する責任追及も、日本よりもはるかに厳しく行われています。ミュンヘンの博物館では、戦中のドイツで何が行われていたのか赤裸々に展示してあります。そして、多くのドイツ人がここを訪れ、戦争について学ぶのです。そのようなことを、国家のミッションの一つとして後世に残すことをしています。
 また、ポーランドに対する謝罪も行っています。世界の歴史を通して、隣国と仲良くやっていくことほど難しいことはありません。ドイツとポーランドも難しい関係が続いていました。しかし、第二次世界大戦後は、ドイツのトップリーダーが何度も足を運んで謝罪しています。シュタインマイヤー・ドイツ連邦大統領は、千年前にドイツのオットー3世という皇帝が裸足でポーランドの聖人のお墓にお参りしたというエピソードを取り上げ、「そのときの皇帝の気持ちに私たちも寄り添いたい」と言って跪きました。
 ドイツの戦後出発、戦後総括は、ある面で徹底していると私は思います。国民のリーダーがそれをやっているからです。「政治家とはこうあるべきだ」と、ドイツ人は思っているのです。そういう点が、日本は弱かったのではないかと私は考えています。


●ヨーロッパ人の精神的原点とは


荒木 ヨーロッパ人の中には、古典が生きています。それは聖書です。新約聖書は誰でも読めるやさしい本です。それが家庭の中で連綿と伝えられている。物語としてのインパクトを、みんなが何らかの形で共有しています。人間としてどうあるべきか、何をしてはいけないのか、そういうことを彼らが思い浮かべるとしたら、まず聖書の世界です。
 そして、政治的指導者になりたい、ならなければならないと考えている人にとっては、「プルターク英雄伝」でしょう。これは、中世から近世にかけて、王が教育を受けるときの題材として使われてきた人物論です。ペリクレス、アレキサンダー、カエサルなど、ヨーロッパを席巻してきた数々の英雄は、プルターク英雄伝の中で取り上げられ、少年少女向けの本にもなって、小さいころから親しまれています。ですから、彼らが描く指導者のあるべき姿は、これを読むことでだいたいイメージできます。
 たとえば、アレキサンダーがペルシャに勝利した際、ペルシャの莫大な財宝と美女たちを手中にしますが、「私は見ない」と言って彼女たちを丁重に遇します。大将たるもの下品なことはしないという感覚があるのです。また、最終的な決断は彼自身が行いますが、作戦を決定するまでは部下である将軍たちと自由闊達に議論を戦わせるという風土がありました。
 彼の政治の理想は「ポリーテイアー」、ラテン語で言えば「レース・プーブリカ」です。これは「共和国」と誤って訳されていますが、レースとは「事」、プーブリカは「公=パブリック」で、「国とは公的な=パブリックなものである」という国のあり方を示したものです。国家権力を道具に使うことなどあってはならない。国の担い手である市民たちが平等であるべきだというのが、最も重要なメッセージです。
 そういう国家観で政治をやるとなると、自由な市民を一つの方向に向けなければなりません。これは大変なことです。命令するからやるのではなく、みんなが納得するからやる。納得させる技量が指導者には必要とされるのです。
 彼らが勉強するのは、アリストテレスやキケロが書いた「レートリーケー」という修辞学、要は説得術を含んだ社会政治哲学です。どうすれば人を納得させられるのか。理屈に合わないことは納得しませんから、理屈を立てる。裁判も政治もそうなっています。
 ところが、理詰めだけでは人は納得しないのがこの世の常です。その人がどういう人物であるのかが、人を納得させるときの決め手になります。
 では、どういう人物にならなければならないのか、という倫理学の話になってくる。そういうことが、長いヨーロッパの伝統的なリーダー育成法の中にはあるのです。


●日本のリーダー育成の問題点はどこにあったか


古田 江戸時代の日本で、武士の人口は7%くらいだったといわれています。武士のすべてがリーダーになるわけではありませんが、一つの社会階層として「おまえはやがて人の上に立つのだ」と子どもの頃から言われて育っている。大学出てからとか、組織に入ってからの心構えではありません。
 ある一定比率の人が子どもの頃から、ある種の「ノーブレス・オブリージュ」を体現・体験することを社会として規定しているという時代が、江戸時代だけでも260年間あったわけです。明治以降は、それが形を変えて、官僚組織や、陸軍士官学校、海軍士官学校に受け継がれてきました。
 ところが、終戦後、それまで何となく継承されてきたものが、「今日からみんな平等」という“民主主義”になった。「自由市民」が獲得したほんとうの意味での民主主義ではなく、「みんな一緒」の“民主主義”ですが。
 昭和30年代くらいまでは、旧帝国大学の中には「社会のエリートとして、国を背負っていかなくてはならない」というような雰囲気が若干残っていたと思います。
 しかし、時代が進むと旧帝大も「庶民の大学」になります。だれも「君はやがて人の上に立つのだ」と規定されない社会になった。そういう場が失われたのです。こうして、リーダーの覚悟がない人ばかりが社会にあふれ、そういう人たちが今や70歳前後になってきています。
 江戸時代には寺子屋でも四書五経に触れ、町民文化の中にもリーダーを涵養する風土はあったと思いますが、そうした風土はいっさい流されてしまいました。今でもほんの一握りの人は興味を持っているかもしれませんが、ほんとうは幼いころから肌感覚として知っていないとダメではないでしょうか。

荒木 いや、日本のリーダー育成は戦前から崩壊していたでしょう。伝統的に士道を尊重してきたのは、西南戦争までではないでしょうか。それ以後になると、軍隊自体が官僚主義化してしまいます。そして正規の学問としての漢学がなくなりました。陸軍はフランス、海軍はイギリス、ドイツだと言って技術論に走った。ペーパーテストで優秀な人が陸軍大学、陸軍士官学校に行き、デスクワークのできる人が出世する。官僚主義そのものです。
 アメリカの軍隊の中には、自由な雰囲気で議論していい人材を抜擢するという雰囲気があるといいます。日本の軍隊にはそういう雰囲気はありません。戦争前からすでに官僚化してしまって、「エリートが国民のために国の命運を担う。公の精神を持って職責を果たす」という意識はなくなっていました。

古田 だから総括ができないんですね。だれが悪いのかわからないのだから。
 「誰某も個人的にはいいところもあった」とか、そういう次元の話になってしまっています。個人のことではなく、「われわれはどうしてこんなことになったのか」という話をだれもやっていないのです。それは今でもそうです。

荒木 私は、日本の『論語』の伝え方にも、少し問題があったと思っています。武士が町人と一体となって、『論語』を読み、日常的な道徳・倫理を学んでいくという在り方が大きな潮流になっていったように思われます。それはそれで重要な意味を持っていると思いますが、国家・社会のリーダー育成において、やや問題を残したのではないか、と思っています。上と下をつなぐリーダーとしての責任を自覚させ、上が誤った場合は、諫言を貫き、下が虐げられた場合は、身を挺して守るという姿勢が弱まったような気がしています。
 孔子自身は本来、政治家として身を立てようとしていました。弟子たちも政治家を目指していた。そういう集団です。実際に、そのうちの何人かは官僚になります。
 彼らに対して孔子は言います。自分が仕える君主が間違っていたならば、どうして体を張って誤った策を阻止しなかったのかと。君主を諫めない臣下を具臣という。「そこにいるだけで何の役にも立っていないではないか」と『論語』の「先進」に述べられています。『論語』を突き詰めていくと、公の精神に反することをやってはいけない。君主がやろうとするなら止めさせなさい。それができないなら職を辞しなさい。こういう考え方です。
 中国は確かに皇帝政治で滅茶苦茶なところはあります。ただ、3000年間もどうして続いてきたのかといえば、1000人に一人、10000人に一人の大人物が現れて、宰相として皇帝を押しとどめてきたからです。
 そういう人物が日本の中にはなかなか見当たりません。それは、中国の皇帝の中に登場する悪逆無道の支配者が日本の歴史に登場していないのか、『論語』の継承の仕方に大きな問題があったからなのか、それともその他の要因があるのか、私の中ではまだ不明なところがあります。

古田「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の言葉がありますが、日本の場合、けっして「正反合」の和ではなく、「まあまあ」「なあなあ」の和ですから。

荒木 論語には「和して同ぜず」という言葉があります。けっして「なあなあ」でよいとは言っていない。あなたと同じではない、徹底的に納得するまでやりましょうという一本筋の通ったところがあのです。日本ではそれがあいまいにされています。

古田 そのあいまいさは、昔からかもしれません。俯瞰してみていくと、それを霊魂、大我、真我、いろいろな言い方がありますが、そこに人類社会に共通の部分があるのだとすれば、日本にも真のリーダーを育てられるベースはあるはずです。ところが、やり方がうまくないのか、なかなかものにならないのはなぜでしょうか。

荒木 岡山に山田方谷という人がいました。幕末日本では「人物」の一人です。方谷は最後まで明治政府には仕えませんでした。弟子の三島中洲に対して、「明治政府が自分に代わって抜擢するのなら行きなさい」という問答が残っています。
 その際、「けっして私利私欲でやってはいけない。ところが私が見るかぎり、明治政府はそういう方向に流れている」と批判し、「そうならないように、公のために尽くしなさい」と釘を刺しています。江戸から明治への継承の仕方に、大きな問題があったということです。
 第二次世界大戦の敗北というものは、本来は最も重要な国民的な経験です。それを国民の観点で総括する必要があるのではないでしょうか、右も左もほとんどこの総括の国民運動をしていないのではないでしょうか。それをもう一度、遅ればせながらやることでしか、国民自身にも、世界に対しても、納得させられないだろうと思います。


●世界から尊敬されない日本


古田 納得どころか、敗戦以降は世界のどこからも一人前に扱ってもらっていません。お金が必要なときは声をかけられます。それでいい調子になって一等国になったような気になっていますが、それ以外でリスペクトされることはありません。一人で立って歩けない国がリスペクトされることはありませんから。
 先日、ベトナムの方とディスカッションする機会があり、たまたま日本の経済人も何人か同席していました。彼らは上から目線で「ベトナムにいろいろ教えてやる」というスタンスで話をします。
 私は言いました。「次の2点において、私はベトナムをリスペクトしています。1点は、私たちが75年前に敗戦した大国を追い出したこと。もう1点、陸続きでいつも嫌がらせをしてくる巨大国に対して、2000年間も対峙していること。ベトナムの方々が持っているチャイナ・インテリジェンスは、日本の数百倍です。これを私たちが学ばずして、これから日本は生きていけません。この2点において、われわれはベトナムから教えられることはあっても、ベトナムに教えることなど何もないと思います」と。
 世界を公平に見渡したとき、どちらの民族がリスペクトされるかと言えば、火を見るより明らかです。
 日本では「戦争はいけない。平和が大切」という総括をしてしまいました。戦争より平和がいいのは当たり前の話ですが、どうやって平和になっていくのか、そのことについて何の掘り下げもしなかった。平和の選び取り方が、決断だったのか、そうさせられたかはともかく、「飼い犬」になることによって平和を獲得したのです。自分で立っていないので誇りは持てない。親が誇りを持っていないのに、子どもが誇りを持てるわけがありません。政治においても、誇りある政治が行われるわけがありません。

荒木 それに近い経験があります。大学の理事をしているときに、若いミャンマー人の日本留学を助けるために、人材育成のためのコンソーシアムをつくりました。その企画の一環として、ミャンマーを初めて訪問しました。その時に感じたのは、ミャンマー人が信仰心に篤く、礼儀正しい国民であることです。
 それに比べると日本の学生はどうなんだろうと思いました。今後、ミャンマーが経済的に発展していけば、日本がミャンマーから教えられることのほうが大きいのではないかと。
 経済閣僚も輩出するヤンゴン経済大学の女性学長に、「経済的なものの考え方にも仏教が生かされているのですか?」と尋ねると、「そのとおりです。私たちは子どもの頃から仏教の倫理を教えられてきました。ですから、国の政策を考えるときも、仏教の倫理の中で経済政策を考えています」と話されました。仏教が国の政策の重要な礎になっているのです。
 日本には、いい意味で倫理的・宗教的な話ができる政治家がいないのは残念なことです。


●日本の精神的な礎とは何か


古田 西洋では『聖書』が、中東・アラブでは『コーラン』が、東南アジアでは仏教が読まれているわけです。「技術者として」とか「ビジネスマンとして」とかではなく、「人間として」ものを考える軸になるものとして、日本には何が残されているのか。
 それをある程度網羅して、選べるようにしたい。具体的な一歩としては、基本的にこれくらいは目を通してほしいという本を推薦図書としてリストアップしたいと考えています。
 諸外国の人間は「私たちにはこれがある」という精神的な基盤をもっています。まずはそのことを知るべきだと思います。世界と相対峙していくとすれば、日本人にもどうしてもそれが必要です。それが「日本型リベラルアーツ」というものにも通じると思うのですが。
 日本のビジネスマンが、あるいはこれから社長になろうという人が、読んでほしいものには、どんなものがありますか。

荒木 私の体験からいえば、『武士道』です。これは、もともと英語で書かれて日本語に翻訳されたものです。
 もう一つは、ラフカディオ・ハーンです。日本人の心情をこれほど見事に描いている外国人はなかなかいません。日本の神道的世界を実に繊細に、わかりやすく表現しています。
 ハーンはギリシャ人ですが、日本の文化に親近感も感じていたと思います。同じ多神教の世界ですから。また、日本人のやさしさ、素晴らしさと同時に、傲慢になるという弱点も指摘しています。日清、日露戦争時の日本人を観察しているんです。時に日本人が粗暴になるということを心配する文章も書いています。ハーンは、日本人に対するすばらしいメッセージではないかと思います。
 それから、聖徳太子です。日本が国家としてはまだ黎明期であった時代、相手の中国は隋や唐という大帝国です。象とアリほどの違いがあるにもかかわらず、堂々と自信に満ちた文章を書くというのは、並大抵なことではありません。その背景には、神仏儒で日本は立っていくのだという、国家の基本的なありかたとしての洞察がありました。
 仏教ではお互いの存在は平等です。したがって相手に対して敬意を払う。聖徳太子の偉大なところは、人間が平等であると同時に、国と国の関係も平等である、それが仏の道に適うことであるとした点です。仏教国家というコンセプトを打ち出したことで、国の平等性、中国と日本は対等であることを主張するための精神的なバックボーンを形成することができたのです。
 日本の仏教はその後の歴史の中で、魂が抜き取られ、“葬式仏教”とまで揶揄されるような状態になってしまいました。しかし、今も仏教が生きている東南アジア諸国では、国民生活はもちろん、国家と仏教のかかわりはもっと密接です。日本でも、奈良・平安時代には鎮護国家という考え方のもと、仏教が病院や療養所をつくるなど、現世のことに積極的に関わっていました。
 キリスト教でも、教育施設一般、とりわけ大学、そして、病院、孤児院(社会福祉)などをつくることに積極的です。今こそ日本の仏教も、もう一度仏教的精神の原点に立ち戻って、この世に生きている人間が必要とすることをサポートし、聖徳太子が描いたビジョンを実現すべきではないでしょうか。

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