荒木勝先生との対話第三弾 真のリベラルアーツを目指して

第一部 公の場で語れる人材の育成を

2021年3月18日 於:縄文アソシエイツ

●今回の4つの論点について


古田 本日は、次の4つの論点からお話をいただければと考えています。
 まず、前回までの対話からもう少し掘り下げておきたい点を2点。
 一つは、リーダーが身につけるべき「修辞学」「ポリティカル・エコノミー」とは何か、です。
 次に、その修辞学を身につけた「有徳者」「公士」とは何か。また、われわれは有徳者や公士をどう見出し、育てていくのか、です。

 さらに、まだ論じ切れていない点を2点。
 一つは、出処進退の「退」の問題です。
 古来、権力の継承はさまざまな形でなされてきましたが、争いや混乱の元となったケースは枚挙にいとまがありません。企業社会においても同様です。
 私が関わってきたケースにおいても、多くの経営者は権力を手放す最後の瞬間まで迷い、苦しみ、そしてある意味失敗をされるのです。それほど「引き際」は難しいということです。
 それまで権力を握っていた人間に対して「それを手放せ」ということは、「三途の川を渡れ」と言っているのと同じです。立派な方ほど、個人的な人生と権力者としての人生が一体化して切っても切れない関係になっています。一般人であれば「定年後は趣味の世界で生きていきます」ということができるのかもしれませんが、10年、20年と組織のトップに君臨すれば、その座を譲るということは、ほとんど人生そのものから降りるに等しい。結果、いつまでもそれを手放せないという状況に陥ります。
 経営者とは、駅伝の区間走者のようなものです。前の走者からタスキを受け取り、自分の区間を走り切ったら、次の走者にタスキを渡す。引き際の悪い経営者とは、自分の区間を走り終えたのに、次の走者にタスキを渡さず、いつまでも走り続けるようなものです。
 権力を持つ人がいかに自分の権力を手放し、次の世代に継承していくのか。その知恵についてお伺いしたい。

 最後の一点は、リーダーの宗教性です。
 前回の対話で、宗廟(先祖を祭る場)と社稷(土地や五穀を祭る場。国民共同体)というお話がありました。
 社屋の屋上に社を建てたりする会社があります。また、毎朝神棚や仏壇に手を合わせ、祈りを捧げてから仕事を始めるという経営者もいます。会社には、社是・社訓、創業精神など精神的な支柱があり、それが会社にとってある種の“ご神体”を形成しているような面もあります。
 これは、企業経営者が社稷を背負うものとしての一つの自覚の現れであるような気がするのです。日本における天皇の役割も「祈り」に大きな意味があるように、社稷のリーダーという存在も、権力を行使する者というよりは、祈る者としての存在が大切に考えられてきたのではないでしょうか。
 リーダーの宗教性をどうとらえ、深めていけばよいのか。そのあたりが、とりあえず今回の議論の終着点になればと考えています。


●修辞学とは何か。なぜ修辞学が必要なのか


荒木 では、「修辞学とは何か」から始めましょう。
 修辞学は、ギリシャ語では「レトリーケー」といいます。わが国では「修辞学」や「弁論術」と訳され、弁論の技術やディベート力という関連で議論されてきました。
 しかし、実際に「修辞学とは何か」を突き詰めて考えたことは、日本ではほとんどなかっただろうと思います。
『シン・ニホン』(安宅和夫・著)や『自由になるための技術――リベラルアーツ』(山口周・著)など、現代でもリベラルアーツが議論されています。リベラルアーツの中には修辞学も入っているはずですが、それにはまったく言及がありません。なぜか修辞学は抜け落ちています。それが意味するところについて、お話ししたいと思います。

 修辞学の原語「レトリーケー」は、ラテン語の翻訳では「オラティオ」です。
「ラティオ」とは、理性、比例、根拠といった、原理的な意味を持つ言葉です。英語でいう「reason」です。
 それに「オ」がつくと、この「ラティオ」を「言葉に出す」という意味になります。「表現する」ということです。しかも、ただ単にスピーチするというのではなくて、「スピーチ・イン・パブリック」なんです。自分の独り言ではなくて、公的に語ること、これが修辞学のもともとの意味です。
 修辞学でもっとも重要なテキストだと言われているキケロの『弁論家について』を読むと、そのことを明確に理解できます。
 ギリシャやローマの時代では、裁判や政治的な議論は、公共の広場(ギリシャのアゴラ、ローマのフォルム)で民衆に向けてなされました。修辞学とは、公の場で論争をするときに必要とされる技法です。言論とは公開の場で行われるものである――そういう文化がヨーロッパでは2000年前から受け継がれているのです。
 日本では、なぜそれが重要視されないのでしょうか。それは、公の場で審議したり、裁判したり、政治討論するという機会がほとんどなかったからです。

 なかでも、日本にその本質が伝わっていない最も大きな問題が、裁判だと思います。
 日本の場合、裁判は原告、被告、証人も多少自らの見解を述べますが、主として検察と弁護士が双方主張しあうだけで、傍聴者が裁判の中身に関わることはありません。裁判官も、最終的に審判を下しますが、双方のやり取りの内容に深く関与するわけではありません。
 ところが、ギリシャやローマ、とくに古代ギリシャの裁判は違いました。
 日本にも陪審員制度がありますが、これはあくまで「陪席する」という意味であり、主人公ではありません。ところが古代ギリシャの裁判は、原則、民衆が裁判員、すなわち裁判官といってもいい。民衆が裁判の主人公なのです。日本なら弁護人にすべて任せきりにすることも可能ですが、そういうレベルではすまされません。訴えるほうも訴えられたほうも、本人が話をするのがルールです。
 民会や裁場の広場の収容人数は、最大で6000人にもなります。そこまでいくことは稀にしても、通常200~500人規模の民衆が集まり、原告も被告もその前で議論するのです。いかにそこにいる人たちの気持ちを揺り動かすか、人々を納得させられるか、という能力が求められました。

 古代ローマでも、民衆はフォルムに集まって元老院議員の議論に耳を傾けました。議員らはそういう場で聴衆を説得したり、彼らを納得させなければならなかったのです。そこで筋の通らない話をしては、相手を説得することはできません。まずは論理的、合理的な筋道を立てて話をすることが求められました。今日の経営的な言葉(経営学)でいえば、アナリティカル・シンキングということになります。
 そういうことから、論理的思考を身につけ、論理的な文章を書く――これが修辞学だと思っている人が多いと思います。もちろん、これは一つの大事な点です。

 ただ、論理的な話をするだけでは、多くの観衆の気持ちを引きつけることはできません。観衆の心をつかむ感性、聴衆の心を揺さぶるようなパッションも必要です。
 同じことを言う場合でも比喩を用いるとか、前例を挙げるなど、まさにレトリック(文学的な表現)が求められます。その場で多くの人の感性に訴えかけるためです。
 感性をいかに研ぎ澄ますことができるか、それも修辞学に求められるもう一つの大きな要素です。

 しかし、それだけではまだ足りないといいます。
 何が足りないかというと、その人、そのスピーカーの生き方に真実性がなければならないというのです。
 ここでいう真実性とは、本当にその人が言行一致しているというだけではありません。たとえばアテナイならアテナイという自分が生きている共同体、国家のビジョンと、自分の生き方が一致しているということです。ローマならローマの共和制が持っている理念と、その人の生き方が一致していることなのです。そうでないと、その人の語ることに説得力はありません。
 個人的に筋の通った生き方をしているだけではなく、社会的、国家的に筋の通った生き方をしている。そうなって初めて真実性という課題をクリアしているといえます。

 もっと突き詰めて言えば、その人にとって「国家とは何か」「人間とは何か」、あるいは「魂とは何か」という点について、本当にきちんとしたものの考え方ができているかどうかが試されているのです。
 裁判、政治、企業活動……何をやるにしても、その国のなかで最も正しいと思われていることと合致しなければならない。だから、正義論や国家論についての筋の通った理解が必要なのです。つまり、社会倫理についてのものの考え方、国家についてのものの考え方、これらを持たない限り、レトリーケーは成り立たないということです。

 このように、レトリーケーという学問は、じつに深遠な学問なのです。
 今日的な課題として、たとえば原発の事業について、どういう選択をするのかが迫られています。その際、原発そのものに関するそれなりのサイエンスの知識がないと、まともな弁論を組み立てることはできません。文系・理系を問わず、物理や化学の知識もないと、レトリーケーは成り立たない。レトリーケーを修めること自身が、じつはリベラルアーツなのです。
 リベラルアーツの根幹は、算術、幾何、音楽、文法、論理学、天文、修辞学が挙げられますが、探求できるほとんどすべての分野に一定程度の見識が求められます。そのうえで、パブリックなレベルでものを説得する必要がある。このような見識を持った弁論を行うために必要な学問がレトリーケー、すなわち修辞学です。
 そういう意味で、私は「修辞学」という言い方では、事の本質が伝わらないのではないかと感じています。たとえば「言論学」など、別の言葉に訳さないと正しく伝わらないかもしれません。


●経営者に求められるポリティカル・エコノミー


荒木 もうひとつの重要な課題は「ポリティカル・エコノミー」です。じつはこれも、修辞学と同じ事柄に関わります。
 前回の対話でも触れたアダム・スミスは、『国富論』と『道徳感情論』を出版していますが、同時にアダム・スミスは公開講義として「法学と修辞学」も講義していました。
 単に技法としての書く力、弁論術ではなくて、法学・政治学・経済学と同時に修辞学を講義していたことが重要です。これはアリストテレスが『レトリーケー』で展開した主張と重なっています。これが、修辞学とポリティカル・エコノミーの一体化ということです。
 日本は戦前・戦後のリーダー育成を通じて、そのことをずっと軽視してきました。

古田 今のお話を企業経営者という切り口で見れば、社会的、国家的にもつじつまが合うということは、一企業の利益を追い求めるだけではなくて、「企業とは何か」「企業で働く人とは何か」といった企業観や人間観、正義論や社会倫理も含めて、言行一致じゃないとリーダーは務まらないということですね。

荒木 加えて言えば、企業の原点は「オイコス」(ギリシャ語の「家」)です。家族から発展してきたのです。
 家族のリーダーである家長は、家族の方針を決めたり進む道の選択をするとき、家族成員を説得し、自分の決断の重要性を理解してもらう必要があります。力で押さえつけるなどという方法は愚の骨頂です。
 企業経営においても同様です。何千人、何万人という規模の会社でも、会社が何をどういう方針でやろうとしているのか、構成メンバーに対して説得することが求められます。
 これが企業経営においても、修辞学が強く求められる理由です。

 そのとき問題になるのが監査、そして取締役と一般従業員との関係です。企業統治(コーポレート・ガバナンス)には当然、監査機能があるはずです。ですから監査役に対して筋の通ったレトリーケーが行使できるかどうかが問われます。
 古代ギリシャでは、一年に一度、そしてリーダーが辞める時には、必ずお金の出し入れについての審査が義務づけられていました。ギリシャ語で「エウスーニア」、英語でいう「audit(オーディット)」(公職者に対する監査制度)です。これはかなり厳密に行われました。
 しかも実施するのは民衆の中から抽選で選ばれた500人の評議会です。抽選で民衆の中から選ばれた執務審査官が書類をチェックし、質疑応答がある。その際、説明につじつまが合わない場合は、これを告発することができます。ひどい場合は、アテナイの市民権の剥奪です。
 日本企業の監査は、一部の閉鎖的なところに狭められていて、厳密な意味でパブリックではないことが大きな問題です。

 もう一つは、企業活動の内容や方向性を一般従業員に対して説得し議論する機会があるかどうかです。株主に対して説明はしても、きっちりとした家族経営を標榜している会社以外で、一般従業員に対するパブリックな説明の機会を持っている会社がどれだけあるでしょうか。

古田 形式的にはやっているところは結構あります。でも、どちらかといえば、auditというよりは、「来期はこうするぞ」という目標の共有、叱咤激励、そういう話になります。過去の数字については会計監査人が調べて適正ということになっている、と。そんなイメージでしょうか。

荒木 過去のことでも未来のことでも、一般従業員に対して社長が直々に、公式に話をするという場はありますか。

古田 法律的な義務づけはありません。ただ、企業によってはそういうことを慣習的に行っているところはあります。

荒木 慣行としてきちんとあれば、社長の能力に、従業員に対してちゃんとした総括と方針を語れる能力が指導者には要求されるということになるはずです。
「それができない人は、到底われわれのリーダーにはなりえない」とみんな思うでしょう。

古田 そのへんは、数字に関しては経理部長が説明するとか、経営陣の中で分担があります。ローマのフォルムとかギリシャのアゴラのようであれば、聴衆はみんな自分の上にいるわけで、その人たちに対して「みなさん」と語りかけるわけですが、そのようなスタイルではありません。ホールや講堂に従業員を集めて、社長は壇上から「君たち」「あなたたち」と呼びかける。「社長訓示」というスタイルですね。

荒木 そこに議論は生ずるのですか。

古田 通常はありません。

荒木 そこで議論するところに大きな意味があるのです。そこで丁々発止をやって、過去はこうで、未来はこうすると社長が締める。
 アテナイの民主主義のリーダーでペリクレスという政治家がいました。この人は、巨大な公共事業の会計管理をも実に立派に行うことができたといわれています。
 自分で数字をもって、説明をし、未来を語る。政治家でいえば財政政策も外交政策も、細かいところまですべて一人で話ができる人物が用いられるということです。

古田 今の日本の首相は原稿がないとものが言えなくなっています。

荒木 日本ではレトリーケーの能力が政治家になるためには絶対不可欠だというふうにトレーニングされていないし、また国民もそれを要求していません。ここに日本の政治の大きな欠陥があります。それは企業でも同じです。
 そういう意味で、「言論学」というものを企業リーダー、経営層に要求する。そしてまずは身近なところから、日常的にきちんと説得をし、議論ができるような経営を心がける。それがレトリーケーの第一歩です。
 その中でようやく、みんなの心を動かすような言葉とはどういう言葉なのか、人間とは何か、理性とは、感性とは、そもそも人間の魂とは何か……それらについて、専門家ほどではないにしても、一定程度の素養を身につけることになります。それがないとリベラルアーツとはいえない。最近、リベラルアーツという言葉が盛んに言われ始めましたが、単なる説得の技法ではまったくないのです。そんなものは、イノベーションのヒントにもなりません。
「リベラルアーツ」を掲げる最近のビジネス書を読んでも、パブリックな形で人を説得するという要素がありません。いかに儲かる企業経営をするか、だけです。

古田 そうなんです。巷にあふれている本は、一個人としていかに稼げるビジネスマンになるかという姿勢ばかりです。

荒木 一個人の金儲けのための経済人を養成するのではなくて、国とか企業をはぐくむために、それを導いていく力量を備えた人間を育成するわけです。もちろん数理的な発想は大事です。大事だけれども、それが中心になってはいけない。

 また近年、禅やマインドフルネスにも注目が集まっています。一個人の決断力、集中力、胆力を養うためには、それらも大切でしょう。ただし、その能力と多くの人を説得する能力は別です。
 人を説得するときには、「国家とは何か」「人間とは何か」について語れなければなりません。そういう学問がないと国家経営,企業経営はできないのです。しかも、ただ身につけるだけでなく、みんなにわかりやすく語ることができる能力が必要です。
 一人静かに自分の心を見つめるのは、たいへん重要な心のトレーニングだと私も思います。ただ、それだけでリベラルアーツを語ることはできない。そのことを知る必要はあります。


●「公士」とはどういう存在か


古田 そういう修辞学を習得した人を有徳者、公士というわけですね。

荒木 公士という言葉は、『荀子』の第2巻「不苟(ふこう)篇」というところに出てくる言葉です。
 ここでは、通士、公士、直士、愨士(こくし)という4つの人間像を取り上げています。
 公士とは、わかりやすく言えば「民衆となれ合って君主をごまかしたり、君主の言いなりになって民衆を苦しめたりすることはせずに、上下の中間にあって対立を解き、私心でそれを害することをしない人」のことです。私心、つまり自分の利益を優先させて上の利害と下の利害を仲裁するようなことはしない、ということを言っています。
 そのあとに、公とは何かという定義が出てきます。「公は明を生ず」――公平は光明を生む。わかりやすく言えば、隠し事をせず、話をすることです。それが公というものの、もともとの重要な意味なのです。
 家でも、企業でも、国家でも、公明で私心なく運用する人物が公士です。そういう人物をわれわれは企業の中でも養成しないといけない。それが最も重要な荀子のメッセージです。
 それは先ほどレトリーケー(修辞学)のところで述べた、ものごとをパブリックに語れる人と同じです。

古田 前回のお話にあった「アリストクラシー」とも重なるのでしょうか。

荒木 その通りです。公の心を持った人。公明正大なる人。自分のことだけを追求するのではなく、自分と他の人とのバランスをとる。上下のバランスをとることのできる人。それを『論語』でも「正(せい)」(「政は正なり」顔淵、十七)「均(きん)」(「国を有ち家を有つ者は寡きを患えずして均しからざるを患う」季氏、一)という。そういう人を儒教は理想とし、アリストテレスの哲学も理想としました。
 それを企業の人材育成の根幹に据える必要があります。

古田 アリストテレス的な見方によれば、そのような資質は、生まれつきというよりは、良い習慣として身につけていくものという考え方ですね?
 たとえば「勇気」は、勇気が必要な経験を何度も重ねることで持てるようになるといいます。「公」というものも、「私」に傾きがちな自分を踏みとどまって、公で物事に処すということを積み重ねることによって、そういう人格が形成され、人物ができあがっていく――そうとらえていいのでしょうか。

荒木 これは東洋においても西洋においても、ほとんど同様のことを言っていると思います。『中庸』の中に、「天の命ずるをこれ性と謂(い)う。性に率(したが)うをこれ道と謂う。道を修むるをこれ教えと謂う」とあります。『論語』には「性相近し。習い相遠し」(陽貨、二)とあります。
 『荀子』の中に、「人の性は悪にして、その善は偽なり」という言葉があります。性悪説です。人の性は悪だというのは、人間は聖人も凡人もみんな生まれたときは、まず自分の欲求を追求するものだということです。それをここでは「悪」といっているのです。
 そして善は偽だという。偽は「にんべん」に「為」と書きます。これは私たちが思うところの「偽(いつわり)」ということではなくて、「作為」という意味です。
 つまり、努力してつくっていくものだと言っているのです。これは『大学』『中庸』にも出てきます。ここでは「人は生まれながらにして『中なる性向』、つまりどちらにも偏らない中立性をみんな持っている」といいます。そして、修練すればするほど、その人が判断した事柄が客観的な事物に的中するのです。それを「節(せつ)に中(あた)る」といいますが、中という本性的なものがあって、ぴったりと客観的な真理を射止めることができる。これを「中和(ちゅうわ)」といいます。そのことが『中庸』(第一章「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う。発して皆な節に中(あた)る、之を和と謂う」)に出てきます。

 じつは、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』第6巻でも、同様のことを言っています。
「人間は生まれながらにして、正義を志向する気持ち、節制や勇敢である資質を持っている。しかし、知慮のない資質だけでは、立派な大人になれない」という言い方をしています。


●「公士」をどうやって生み出すのか


荒木 パブリックな心は、どうやって育つのかといえば、まずは家族の中で形成されます。そして家族から範囲を広げた村などの共同体で形成されます。最後は国家という規模で形成される。このように社会的・政治的に揉まれるという経験を積まないと、公士という存在は生まれてこないでしょう。
 そういう面から考えていくと、われわれが人物を見るときにいちばん大事なことは、その人がまわりの人たちから信頼されているかどうかです。もしその人が本当にバランスの取れた判断のできる人物であるならば、相手からも信用されるはずです。
 すると、その人のまわりに一つの信頼にもとづくつながり、信頼グループというものが生み出されるでしょう。逆にいうと、その人のまわりに信頼関係を持った人間集団ができなければ、その人は公士ではないということになります。
 当期どれだけの利益を上げただとか、一個人としてどれだけの能力があるかを測ることは、これはこれで一つの重要な判断の要素にしたらよいのですが、同時に今日の文脈でいえば、その人のまわりに信頼できる人間関係がいかに形成されているかを見ることで、その人の人間的力量を測ることができるのです。それによって、その人が本当に公士であるかどうかがわかります。
 そういう人物を用いなさい、と荀子はいいます(『栄辱篇』)。これが一つの大きな人物選択のあり方ではないでしょうか。

古田 実際には、その対極にいる金儲けがうまい人間には、その分け前にあずかろうというフォロワーの集団が形成されます。外から見ると、それが信頼関係なのか、餌に群がる親分・子分関係なのかは、ちょっと見えにくい部分があります。
 それに、本当の信頼集団であっても、その中で食べてゆけないとグループを継続するのは難しいという現実があります。企業経営においては両方できなければだめだという結論にはなるのですが、どうしても金を儲けられるリーダーのほうが目立つ。とくに指標管理をやると、現実にどれだけ利益を上げたか、シェアを伸ばしたかなど、数値としてはっきり目に見ることができる。ところが、公士のほうは数値としては現れません。
 非常に危機的なときに、垣間見えることはあるのですが……。どうしても見えるほうに引きずられがちです。

荒木 ということは、先人がいろいろいいものを書いていたとしても、現実的にはうまくいかないということですね。
 中華帝国でも、創業者がいて2代3代になってくると、今ご指摘があったとおりニセの信頼関係と、本当の信頼関係が形成されてきて、船が沈まない限り、ニセの信頼関係が築かれていくというふうに多くの場合なっていくだろうと。繰り返し、揺れ戻し、揺れ戻ししながら、結局戻ることのできないところまで行って、国が崩壊するということになるでしょう。
 それに対してわれわれができることは、どこまで抵抗できるか、そしてそれに対抗できる次の時代の人材をどう育てるか、ということかもしれません。

古田 家族から地域社会、国家までいくつかのレベルがありますが、いま各々のレベルであまりにもニセの信頼関係が蔓延していることを指摘せざるを得ません。本物の信頼関係が現れることが少ないので……。そういう中でも、本物を目指そうとは言い続けなければならないということでしょう。そう言い続ける中で本物の人同士が出会い、切磋琢磨するようなものを提供するということになるのかなと。


●いまだ総括のない日本人の問題点


荒木 明治維新でつくった体制が、そのまま第二次大戦まで来てしまったわけです。何回かやり方を変えようとする動きがありましたが、変えきれずに1945年まで来て破綻しました。
 われわれができることは、明治からやってきたことがなぜ破綻したのか、破綻に対していま何を反省し、日本の問題を処理したらいいのか、そういう問題になると思うのです。
 私は国家のレベル、企業のレベルでも同じことだと思っていますが、あの敗戦のときに、日本の企業は何を総括して、何を戦後出発にしようとしたのか。その総括が企業家レベルでちゃんとついているのかどうかということも、大きな問題ではないかと思います。

古田 国が総括していないから、国民も総括していません。したがって中間形態としての企業が総括しているわけがないという言い方もできると思います。

荒木 そうでしょうね。そのうちの一つとして今日お話しさせていただいたのは、人間形成の側面としてのレトリーケー(修辞学)です。結局、第二次世界大戦に敗戦したときの教育界の総括の中に全く出てきません。戦後、教育界を誰がどのように総括したのか全く分かりませんが、敗戦直後にアメリカの教育家がたくさん来日して戦後教育のシステムをつくりました。そして、大学は初めの2年間は教養、その後の2年間は専門ということになりました。
 そのときに言えたのは、結局文理融合ということだけなんですね。文科系と理科系を2年間はそれぞれやりましょう、それから専門に進みましょうと。それで終わっています。
 今日話してきたような、パブリックな次元でどうお互いにお互いを説得するのか、それを基軸にしながら、人間社会にとって最も根幹にある人間論と国家論の基礎をどうやって学ぶのか、ということが全く欠落しています。
 年数の問題ではなくて、教養の根幹部分が欠落したまま、中間層以上の指導者層をつくってしまったことが問題です。

古田 指導者層という認識もないまま、そういうポジションに人を当て込んでいったという面があります。単なる「大卒」とか「東大を出ているから」とか、そんな理由だけで当て込んでしまった。よく考えてみれば、そういう基礎教育を一切してこなかったのです。

荒木 しかし、その重要性は不思議なことにアメリカからもEUからも教えられていませんね。

古田 彼らからすれば、「日本人にはそこまで考えさせなくていい」という感覚が大枠の中にあるのではないですか。

荒木 作為として?

古田 あるいは、何とかの不作為というやつかもしれませんが……。
 本質的に日本人の美徳といわれているもの、たとえばきれい好きとか、忍耐強いとか、従順(いうことを聞く)、自分ではモノを考えないなどという特徴は、彼らにとっては「使用人として非常に優秀で都合のいい性質」なんです。それくらいの感覚でアメリカやヨーロッパは日本を見ているし、中国なんかはもちろん2000年前からわかっていることで、「もともとは俺たちの使用人だったじゃないか」くらいの感覚ではないでしょうか。

荒木 ジョン・ダワーの『敗戦を抱きしめて』という本があります。タイトルは情緒的で、第1巻の最初のほうは世話話的な内容だなと感じましたが、あらためて読み直すと、この著作の本当の趣旨は今日の話と重なります。
 マッカーサーが母国に帰ったときに行った議会証言があります。「日本人は私の統治に対してとてもよくしてくれた。帰国の際首相まで出てきて、送別の式典を開催してくれた」という話をします。
 しかし、そのとき「ドイツ人は我々と同じ大人の人間だ。しかし日本人は12歳の少年だ」と発言するのです。それを伝え聞いて、日本人はがっかりしたといいますが、そのレベルの判断で終わっています。
 マッカーサーの日本人観はとても正直なもので、問題はなぜ日本人が12歳の少年として彼の目に映ったのかということです。
 それは日本人が大人として彼に話ができなかったからです。大量の自国民が犠牲になったにもかかわらず、日本のリーダーたちはマッカーサーに対して上目づかいでお伺いを立てるような態度しかとれなかった。戦争に負けた国のリーダーが取るスタンスではなかったのです。それがマッカーサーにとっては思いの外だったのでしょうね。

 アリストテレスの『政治学』第7巻に、ギリシャ人、アジア人、ヨーロッパ人の違いを比較した文章があります。
「アジア人は頭がよく、ものづくりが抜群である」といっています。「ヨーロッパ人は頭はよくないが、独立心が極めて強い」という評価です。
 では、ギリシャ人はどうか。「頭がよくて独立心がある。だから、相手がどんな大国であっても、ギリシャ人が団結すれば必ず勝てる」と言っています。
 当時から、アジア人に対してはものをつくる優れた能力を見出していたようです。アジアから伝わってくるものの品質がとても高かったのでしょうね。
 ギリシャ人は、そういうものをつくることはできない。ギリシャのものづくりはエジプトやメソポタミアから入れてきたものです。だけど、それは奴隷がやることなのだと。では主人公はどうあるべきか。それは、やはり独立自尊の人格と、家庭、地域、国家経営をすることです。
 そういうことが2000年間ずっと続いて、ヨーロッパ人のアジア人に対する大きな誤解が生じました。
 アジアの中にも独立自尊の政治学・倫理学はありますが、そういう方向でヨーロッパ人は見なかった。日本人もそういう点での自覚は弱かった。結局、第二次世界大戦のときにもきちんと総括されずに現在まで来てしまったのです。

古田 アリストテレスの時代からそんなことが言われているなんて、なかなか慧眼ですね。

MENU